中村コラム『プロミュージシャン』

『プロミュージシャン』

クリスマスも近いというのに歌舞伎町の風は、生臭く、しかも生暖かかった。

ようやくのことで、音楽で金が稼げるようになったオイラは、トラ(エキストラのこと:代役)として始めて行くことになった新宿にある店へ有頂天で出かけた。ベーシストとしてのギャラが出る仕事(当時でもトラなら1日1万円前後)ということもあり『キャバレーでもクラブでも何でもいいや!やっとプロになったんだ!プロのベーシストだぜぇ~!』という自信に満ち溢れていた。たしか午後の5時半ごろ入って、6時から5ステージ、最後は11時45分ぐらいまでの仕事だった。それまでに何度かその手の店の仕事をどうにかこなしていたが、正直はっきり言って不安はあったのだ。しかし、『オイラはプロ』という妙なプライドがそれに勝っていた。

そして、1回目のステージ。もちろん何の打ち合わせもないままスタンバッた。とっ、カウントも無しに、ワルツ(3拍子の曲)が始まった。『えっ!』とキョロ・キョロしても他のメンバー(ピアノ、サックス、ギター、ドラム)は、何処吹く風、まったく知らん振りなのだ。オイラの頭の中は、一瞬にして真っ白になってしまっていた。必至に音を取ろうとするが、合っているのか?違っているのか?それすらも分からない。わずか2~3分の曲のはずだが、時間が止まったように思えた。・・エンディング・・『次の曲は?何ですか?』と思わずドラムさんを振りかえる。『○○番!』ニッコリ微笑んで彼は、答えた。『ヨォ~シ!』と歌本を探すと、なぁっなぁっんとそれが3冊も4冊も積んであるではないか。『どの歌本なんだ!』この間2、3秒。すでにカウントが始まっている、しかもいきなりハイテンポのビ・バップJAZZ(コードチェンジが目まぐるしいジャズ)だ。さらにオイラは、パニックになっていく。手も足も、身体中が震えて止まらない。『何でなんだ?』とバンマス(バンド・マスターの略:バンドのリーダー)のピアノさんを見ると、彼は、いきなり一冊の歌本を手に取ってオイラ目掛けて投げ付けた。サックスさんは、知らん振りして吹きまくっている。ドラムさんからは、いきなりスティックが飛んできた。目の前の景色がくやし涙でゆがんで行く。しかし曲は、進んで行く。次の曲、次の曲・・結局20分間、一曲も、いや一小節もまともに弾けなかった。ラストの曲では割れたシンバルがオイラの足元へ飛んできて『ガシャン』と音を立てた。

ワンステージ目の照明が落ちてオイラは、しゃがみ込み、暗くなったステージを殴った。『何の曲をやるのか?どうして教えてくれないのか?どうして他のバンドメンバーは、○○番と言っただけで、どの歌本か分かるのだろう?オイラは、イジメられているのか?それともオイラがダメなのか?・・』ステージにうずくまって呆然としていると『キミー!こっちにおいで、』どう見ても70歳は過ぎていそうなバンマスがオイラを見下ろして言った。控え室へ連れられて行くオイラ。まるで万引きで捕まった中学生だ。心臓がバクバクいっている。『バカヤロウ!てめえなんか止めちまえ!とっとと帰れ!』という言葉が、すでに頭の中を駆け巡っている。

『さぁ~て、そこに座りなさい。』とバリトンの声が響く『・・まあ~ワンステージ目は、ほとんどお客はいないんだ。気にしないで良いよ。』そう言ったきりバンマスは黙っている。オイラは、思いきって聞いてみた。『何の曲をやるのか?どうして教えてもらえないんですか?どうして他のバンドメンバーは、○○番と言っただけで、どの歌本なのか分かるのですか?何か俺が悪い事しましたか?』・・するとバンマスはニッコリとした表情でゆっくりとだが、しっかりとした口調でしゃべり出した。『まず、君は一曲目に何をやるのか、バンマスの僕に聞かなかったよ、どうゆう入り方なのかも当然聞かなかった。次の曲も同じだよ。何番だけじゃお釈迦さまでも占い師でも誰にだって分からないよ。前の曲の最終コーラスに入る前に歌本を持ち上げてどの歌本かを合図してるんだよ。君は、それも聞かなかったんだ。ただそれだけの事だよ。始めて来たばかりなんだから、いじめようとも思わないよ。君が上手いか?下手か?それもまだ分からないね。だってまだ弾いてないじゃん。ハァッ・ハァッハァ!』と彼は、サンタクロースのように低音を効かせた笑い声と共に、席を立ってしまった。

バンマスがいなくなると、今度は、40がらみのサックスさんが入って来てこう言った、『いつもの事だから、若手の新人さんが来るとね・・プロの洗礼!ってやつだよ!』

オイラは席を立って裏口から店の外に出た。12月も末だというのに歌舞伎町の風は、生臭く、しかも生暖かかった。『ちっくしょう~』路地裏の中身がたっぷり詰まったゴミバケツを思いきり蹴った。涙がコボレそうになった。・・オイラがバカだったんだ。天狗になって、たかをくくっていた。本当だな。プロなら、プロだからこそ当然聞いておくべきだったんだ。知らなかった、弾けませんでした。なんて聞いているお客さんには全く関係ないんだ。スティックやシンバルや歌本をぶつけられてもしかたがなかったんだ。偉そうにしていても、聞かなきゃ誰も教えてくれないのは、プロとしては、当たり前の話しだ。オイラは、何をやっていたんだ。・・『よ~し、一丁やるかぁ~!』

オイラは怒鳴って両手でほっぺたをパンパンと叩き、次のステージの打ち合わせをしようと、地下の控え室へ続く裏口の鉄の扉を開けた。オイラは、初めてプレイしてお金をもらえるという事の本当の喜びとその事の重大さに震えていた。

writed by Don.Nakamura