中村コラム『ビッグネーム』

『ビッグネーム』

『ほな、本番よろしゅうお願いしますぅ。』関西弁まるだしで、そのオバちゃんは、言った。

小生が、駆け出しのベーシストとして活動していた30年ほど前のことである。その頃と言えば、キャバレーやクラブ(皆で騒いで踊る所ではなく、いわくありげなオネエ様方がいる所)やダンスホール(いわゆる社交ダンスのディスコ?みたいなもの)等でいわゆるハコ(ハコバン:一定のお店で常に演奏すること)のお仕事にありついていた。もちろんたまには、メジャー歌手のバック演奏の仕事もトラ(代役:エキストラの短縮)で回ってきてはいた。

その日は、府中市(東京都)のキャバレー大東洋(?たぶんこんな名前で、キャパが150席くらいだった?)でのハコバンの仕事であった。ここには何度も仕事で足を運んでいたが、ドサ回りの歌手などもやってくる。その場合は、バックでの演奏となるわけだが、まあ演奏する曲と言えば演歌やムード歌謡などが主流で、まず小生たちの気に入った曲をやることはなかったのだ。

そんな所へやって来たのが、そのズングリむっくり愛想だけの良いオネエちゃん(オバちゃん?)だった。関西なまりの彼女は、やって来るなり本番時間の確認、出(で:舞台へ出て行くと時間とその演出)の打ち合わせ、そして譜面上での打ち合わせとテキパキかつ丁寧にこなしていくのだ。おや?普段と違うな?と気付いたのは曲の打ち合わせをしている時だった。大抵の場合、ドサ回りの歌手などは、絶対指示しないような、めちゃめちゃ細かい所まで決めたがる。たとえば、このドラムのオカズは、このタムタムをこんな風に叩く、とかサックスのサウンドのニュアンスまで口出しするのだ。その口調は、時には挑戦的にも、兆発的にも聞こえるほどだった。こちら全員(4人編成のバンドだった)としては、ドサ回りのクセにうるさい女だ、と完全に思っているのだが、やはりプロとしてのプライドがある。ハイ、ハイとニッコリ返事をしながら、しっかり要点をメモっていく。『では、次の曲』と彼女。ペラっとめくって出てきた曲のタイトルを見ると『大ちゃん数え唄』となっている。もしや??と譜面の説明を聞きながら読んでいくと、どう見ても、あのなつかしの名作アニメ『いなかっぺ大将』のオープニングテーマではないか。彼女曰く『テレビで唄っていたのはアタシよ!』と上機嫌。どんな唄かというと『一つ人より力持ち、二つふるさと後にして、三つみんなぁ~の人気者・・』という1970年代初頭の人気アニメの主題歌。一通り打ち合わせが終わり、後は本番まで休憩となると、彼女は夕食へ出かけていった。

するとバンドのメンバーがひそひそ話しを始めた。『府中のキャバレーで唄う曲かよ!』『頭おかしいんじゃないの?』・・でも最終的には、バンマス(当時60歳くらい)の『テキパキして真剣そのもの、近頃見ないような娘だね』という一言で一件落着。とりあえず、あれだけ注文を付けられたのだから、完璧な演奏をしてやろうじゃないかという事になり、皆が譜面とにらめっこ。当時このような仕事の場合、ぶっつけ本番で、初見(いきなり初めての譜面を見てプレイする)は当たり前だったのだ。

さて、その本番はというと、『絶対最高の演奏(譜面に書いてある以上の演奏)をしてやる』と息巻いているものだから、メンバーのテンションは、当然高い。場末のキャバレーとは、思えない大演奏だった。小生的には、カーネギーホールか紅白歌合戦のNHKホールか?という勢いであった。『大ちゃん数え唄』でさえ、『こんなにカッチョ良かったっけ?』という感じである。そして2ステージ(ラスト)のフィナーレ。

彼女の含め我々は、良い仕事をしたという充実感に包まれていた。良く考えてみれば、我々は彼女の術中にはまっていたのだ。いい加減な演奏をされないようにと、生意気とも思える打ち合わせの態度と緊張感をステージの前に彼女はそれを作り出していたのだ。『素晴らしい演奏でした、ありがとうございました。お疲れさまでした。』そして、彼女は、笑顔と共に去っていった。

そしてこの30年前の出来事を小生はすっかり忘れてしまっていた。

小生は、その『大ちゃん数え唄』をこの30年間に何度かTVやラジオで聞いていたのだが、しかし全くピンと来る事はなかった。しかし、しばらく前、NHKのTV番組内で、その唄の事を取り上げていたのだ。何気なく見ている内に驚くべき事実が浮かび上がって来たのだ。『大ちゃん数え唄』を唄っていた歌手についての番組だったのだ。

その歌手は、デビュー以来一曲のヒット曲も無く、10年以上の下積み生活を送っていた。その間芸名を何度となく変えて、各地の温泉場、ヘルスセンター、キャバレー、スナックなどをドサ回りする生活を送ってきたそうだ。そしてもう諦めようと故郷の大阪へ帰る。そして絶望の中であの通天閣をふと見上げた。『そうや、もう一度、あと一曲だけやってみようやないか。10年以上やれたんやないか。あと少しだけ・・』

そして東京へ舞い戻ると新曲が待っていた。その曲が『道頓堀人情』という楽曲だったのだ。まさに故郷大阪、通天閣のある大阪を唄った曲。1985年この曲だと思って再び全国キャンペーンに打って出る。もちろんキャンペーンといってもドサ回りだ。1か月に300か所以上回った時もあったという。しかし今回は御客様の反応が全く違っていたのだ。土壇場の奇蹟が起きたのだ。翌年この曲は、『有線大賞』を受賞する。それからは、順風満帆、演歌界のスターとなり、そして1996年あの大ヒット曲130万枚を売り上げた『珍島物語』が発売される。

突然小生の記憶が甦った。ズングリむっくり愛想だけの良いオネエちゃん(オバちゃん?)、こ生意気な演歌のあの子の事とTV番組が結び付いたのだ。名前も違っていたのでそれまでは全く考えたことなどなかった。小生は、涙をこらえることが出来なかった。あの当時、彼女はどん底だったのだ。その中で彼女は、決して諦めず笑顔で唄ってきたのだ。そうだ、後にも先にもあれだけ真剣な打ち合わせをしたのは、他のメジャー歌手の中にも一人も存在しない。どんな逆境と挫折の中でも自分の可能性を信じ、全力で仕事に取り組む姿勢こそが、ビックネーム『天童よしみ』その人なんだと納得した。そして小生は、その彼女とステージを共にできた事を心から誇りに思う。

writed by Don.Nakamura